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寒さ厳しい今日この頃ですが

寒さ厳しい今日この頃、結構、冷え込んでますね!

皆様、お風邪などお召しにならぬようお気をつけください。

ミニ大通の遊歩道は、冷え込みによる堅雪状態でとても歩きやすい状況です。

今週は、雪も降って積もるでしょうか!

さて、北海道近代美術館では、現在、3月21日までの会期で、『さとぽろとその時代-誌・版画・都市のモダニズム』展(A室)が開催中です。大正末期から昭和初期にかけて北海道帝国大学(現:北海道大学)の学生と教師たちが創刊した『さとぽろ』という同人雑誌の同美術館所蔵コレクションからの展示です。言ってみれば、これは札幌のタウン誌のはじまり?なかなか楽しい展示です!

詳しくはこちらをご覧ください。

ミニ大通14丁目
ミニ大通14丁目

 

『さとぽろ』とその時代
詩・版画・都市のモダニズム

平成28年3月21日(月・祝)まで北海道立近代美術館A室にて開催

 

『さとぽろ』とは、1925年6月に札幌で生まれた詩と創作版画の同人誌です。創刊したのは、当時の札幌の地にあって国内外のトレンドに敏感に反応し美術、文学、音楽、演劇など幅広い芸術に自らの創作意欲を駆り立てた、北海道帝国大学(現:北海道大学)の学生と教員たち。その彼らに、東京の地からやってきて共鳴した新進気鋭でフリーの建築家田上義也が加わって、その活動は雑誌出版の枠組みから展覧会、音楽会、舞台といった総合芸術へと展開の幅が広がって行きました。

『さとぽろ』は、創作の誌面発表のみならず実際のイベントを企画告知し開催したという点では、いわば札幌におけるタウンミニコミ誌としても古典といえる雑誌かもしれません。創作し出版しイベント活動も成し遂げた彼らの4年間の活動と、その活動がその後の田上義也の建築にどのような表現となって現れたのかにも焦点をあてたこの展示を見ると、当時の札幌の若者たちのモダン精神溢れる個々の自立した表現力と力を結集させてメディアを作り上げる力強さと快活さに心を打たれ、テレビというマスメディアの存在しない時代の牧歌的な若者の躍動を感じさせられます。もし彼らの時代にインターネットというものがあったなら....。そんな、たらればを創造してみるのも楽しいかもしれません。

 

<関連事業>

学芸員によるギャラリートーク 土曜日14:00~(約30分)

○ことばとアート・・・1月30日、2月27日

○国貞、国芳、英泉にみる江戸女性の人間模様

・・・2月6日、3月5日

○『さとぽろ』と日本のアバンギャルド芸術雑誌

・・・2月13日、20日

○遊び心と器−用いられることを拒否するカップ?

・・・3月12日、19日

 

『さとぽろ』とその時代展 映画上映会 

田上義也設計《坂邸》が舞台となった映画『Love Letter』(監督・脚本:岩井俊二、出演:中山美穂、豊川悦司ほか)を上映いたします。
2/11(木) 13:30~(約117分)当館講堂(230席) 観覧無料

 

「北光トリオ」に捧ぐ-「『さとぽろ』とその時代」展コンサート

『さとぽろ』同人であった建築家・田上義也は、ヴァイオリニストとしても名声があり、ピアニスト・小川隆子、チェリスト・飯田実とともに1924(大正13)年に「北光トリオ」を結成し、道内各地で演奏、好評を博しました。北海道で活躍する3人の音楽家が、「北光トリオ」が得意とした曲目を中心に演奏します。
2月13日(土)  15:00~(約1時間)1階ホールにて

 

 

さとぽろとその時代リーフ表
さとぽろとその時代リーフ表
さとぽろとその時代リーフ裏
さとぽろとその時代リーフ裏

 

詳しくはこちらをご覧ください。

北海道立近代美術館『さとぽろ』とその時代 詩・版画・都市のモダニズム サイト

詩とパンと珈琲の店 モンクールにて
野菜イタリアン教室開催

古谷シェフのイタリアン教室今月は1/16土曜日19:0020:30に開催です。

イタリアの家庭料理を季節の野菜で楽しみましょう!

今回は『ネギと生ハムのクリームリゾット』とデザートは『大根とリンゴのサバイオーネクリーム』

イタリアの家庭料理のテイストを知って美味しさ広がるご家庭イタリアンの魅力をお楽しみください!

詳しくはこちらをご覧ください

『ネギと生ハムのクリームリゾット』

1月10日日曜日も営業しています

寒くなってきていますね。
年明けとともに冬が深まってきているようで。
今年最初の三連休で風邪などひかぬよう帰を付けてくださいませ。

世の中三連休の時は当店日曜営業の日です。
今週はあと、今日明日の二日間営業いたしますのでよろしくお願いいたします。
新年からお酒もたくさん入荷してきております。
是非お好みの一本を探しに遊びに来てください。

皆様のお越しをお待ちしております。

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野菜イタリアン教室

モンクールにて古谷シェフのイタリアン教室

今月は1/16土曜日19:0020:30に開催です。

イタリアの家庭料理を季節の野菜で楽しみましょう!

今回は『ネギと生ハムのクリームリゾット』とデザートは『大根とリンゴのサバイオーネクリーム』

イタリアの家庭料理のテイストを知って美味しさ広がるご家庭イタリアンの魅力をお楽しみください!

参加費 4000円(1ドリンクモンクールさんのパン付き)当日お支払いください

定 員 8名様

持ち物 ハンドタオル・エプロン・筆記用具

<お申し込み先>

『アネッロ・ズ』フルヤもしくはMon coer店舗まで

メール anello.s76@gmail.com TEL090-5551-5743

1/10(日)以降のキャンセルはキャンセル料が発生しますのでご了承ください。

講師:古谷たかし

手打ちパスタ教室『Anello's』代表・シェフ

札幌市内のカフェ・料理教室を借りて道産小麦を使った生パスタ教室やイタリア家庭料理教室を開催しています。

『ネギと生ハムのクリームリゾット』

道産小麦の生パスタ教室

古谷シェフの生パスタ教室、今月は1/14木曜日19:0020:30に開催です。

パスタマシーンを使わなくてもに簡単に作れる道産小麦の生パスタレッスン。

今回はそば粉入り太麺『ピッツォケリ』と『じゃがいもとキャベツ』のソース、

そして前菜は『りんごとチーズのおつまみ』に挑戦です!

参加費 3000円(1ドリンク付き)当日お支払いください

定 員 10名様

持ち物 ハンドタオル・エプロン・筆記用具

<お申し込み先>

『アネッロ・ズ』フルヤもしくはRaw Life店舗まで

メール anello.s76@gmail.com TEL090-5551-5743

1/10(日)以降のキャンセルはキャンセル料が発生しますのでご了承ください。

講師:古谷たかし

手打ちパスタ教室『Anello's』代表・シェフ

札幌市内のカフェ・料理教室を借りて道産小麦を使った生パスタ教室やイタリア家庭料理教室を開催しています。

そば粉入り太麺『ピッツォケリ』と『じゃがいもとキャベツ』のソース

Vol.1 私の山とスキーと人と
芳賀孝郎さんに聞く

近隣むかしばなしのコーナーでは、今月から二ヶ月にわたって、かつて北5条西19丁目にあった『ハガスキー』を経営されておられた芳賀孝郎さんのお話しを連続掲載させて頂きます。芳賀さんのお話から、かつてのミニ大通周辺と外国に輸出するまでの隆盛を見た札幌のスキー産業の歴史、そして札幌人と冬の楽しみの今昔と今後への思いについてお話しを伺いました。

 

1,原点は桑園

 

生まれ育った頃の情景(1)

 

私は1934年(昭和9)に桑園で生まれました。北5条西19丁目で、家の前には市電の北5条線が走っており、二中ウラという電停のすぐそばでした。男4人、女4人の8人兄弟で、上にふたりの姉。私は長男です。実家は、芳賀スキー製作所という、スキーを作る会社でした。住まいと事務所と工場が、同じ敷地にありました。

二中ウラの二中とは現在の札幌西高等学校のことで現在の札幌龍谷高等学校のところにありました。私は1948年(昭和23)の学制改革で札幌第二中学校から衣替えした時点での西高第一期卒業生です。

芳賀スキー(のちにハガスキー)は、私の父の芳賀藤左衛門が、父の兄の恒太郎とともに東倶知安村(現・京極町)で創業しました。当初は荷車や馬車の製造販売をしていたのですが、大正半ばからスキーの製造を本格的にはじめ、北大スキー部などから高い評価を得ました。昭和のはじめには札幌に移り、工場をこの場所に建てていたのです。

1940年(昭和15)芳賀スキー製作所前にて撮影1芳賀孝郎さん提供

この写真は、1941年(昭和16)の冬に家の前で撮ったもの。雪山でスキーを履いているのが私です。私は桑園国民学校(現・桑園小学校)の一年生でした。写真にあるように、家の前の電車のレールを除雪してできたような雪山で、兄弟や近所の仲間と遊んでいました。スキーはもちろんハガスキーです。今のミニ大通になっている通りは、現在のような真ん中の緑地帯は無く、単に幅の広い防火帯道路で、ここでもスキーを履いて行き来していました。昔は、電車が走っている街の中以外は馬そりと並んでスキーも人々の冬に交通手段だったものです。

1940年(昭和15)芳賀スキー製作所前にて撮影2芳賀孝郎さん提供

こちらのひとりで写っている方では、奥に北5条通りが西に延びています。冬は雪でおおわれていますが、道はもちろん舗装などされていません。私の左後方に左側に向かって向かってカーブする轍がうっすらと見えますがこれは電車のレールです。この電車は北5条線といって札幌駅前方面から、北5条通りを往来し、この北5条西20丁目のカーブで南に進み大通20丁目にあった避病院(伝染病の隔離病院)の前で終点でした。そこで円山公園からの円山線に乗り換えると円山線は南1条から南1条線になって西4丁目交差点の三越前に向かうことができました。西4丁目交差点には駅前通りを札幌駅前とすすき野を経て中島公園を結ぶ停公線が通っていて札幌駅前で北5条線に繋がっていましたから、街の中心部にいくのは、むしろ今よりも便利だったと思います。けれども写真の私の背後には西の円山方面に向かって、大きな建物が見事になにもないですね。

父がスキーの職人ですから、私は物心つく前からスキーが友だちでした。1940年(昭和15)に札幌でオリンピックが開かれることが決まっていましたから、市民のあいだでもスキー熱が盛んだったと思います。父に連れられてよく荒井山に入り、いまの大倉山小学校のあたりから沢筋を滑っていました。あのあたりにオリンピックのボブスレーコースが作られていて、父は関係者とも懇意にしていましたから、ボブスレーに乗せてもらったことがあります。ご存知のように、1940年(昭和15)の札幌オリンピックは戦争のために中止となってしまったのですが。

小学校に入ってからは、学校が終わると家からそのままスキーを履いて、友だちと円山で滑りました。6年生のとき、荒井山で第1回全札幌小学校スキー大会があり、私は大回転で優勝しました。

この写真が撮られたころに太平洋戦争がはじまりました。家の近くに札幌二中(現在の札幌西高校)がありましたから、グランドなどを遊び場にしていました。時節柄だったと思います。グランドで行われていたグライダーの滑空訓練などはいまでも目に浮かびます。生徒たちが両側から引っ張ってグライダーを飛ばすのです。

友だちの兄さんが海軍兵学校に行っていて、休暇に、江田島(広島県)から白い制服で帰ってきたことがありました。あまりの格好良さに衝撃を受けました。儀礼刀にさわらせてもらって感動したことをおぼえています。当時の少年たちは、大人になったら何になる? と問われたら、「兵隊になる」というのが当たり前のこたえ。出征兵士を見送る情景も珍しいものではありませんでした。

戦争が激しくなってくると、工場の若い従業員も出征していきました。戦争でスキーどころじゃないと思われるかもしれませんが、このころ長野県の大手メーカー西沢スキーが陸軍から3万台のスキーの注文を受けたという話がありました。西沢と付き合いのあった芳賀スキーでもその一部を手伝うことになりました。父はしぶしぶ受けたようです。軍隊スキーは、軍靴ではけるように革の締具をつけたフィットフェルト方式で、ストックは和竹製。大きなリングがついていました。

 

1944年(昭和19)の春、洞爺湖の月浦に疎開することになりました。父がそこに別荘を持っていたのです。月浦国民学校に転校しました。ちょうどそのころ、湖越しに見えるところに昭和新山が誕生して、私は、噴煙を上げながら日に日に大きくなっていく山を不思議な気持ちで見ていたものです。戦争が終わったという玉音放送は、児童みんなで国民学校に集まって聞きました。あの時代は、今思うとやはり自由な雰囲気はなく重苦しい感じで、けして、良い時代ではありませんでした。もう二度とあんな時代にはなって欲しくはないですね。(つづく)

聞き書き/谷口雅春

 

かつて1962年(昭和37)まで北4条西19丁目にあった札幌西高等学校を南から北に向かっての空撮(1957年(昭和33)当時)。現在、西本願寺札幌別院と札幌龍谷学園高校のある場所です。校舎敷地北側の北5条通りと西側の20丁目(市場通り)に市電北5条線が走っているのが見えます。右端の中心あたりに現在のミニ大通17丁目の突端もわずかに見えます。札幌市公文書館所蔵写真
かつて1962年(昭和37)まで北4条西19丁目にあった札幌西高等学校を南から北に向かっての空撮(1957年(昭和33)当時)。現在、西本願寺札幌別院と札幌龍谷学園高校のある場所です。校舎敷地北側の北5条通りと西側の20丁目(市場通り)に市電北5条線が走っているのが見えます。右端の中心あたりに現在のミニ大通17丁目の突端もわずかに見えます。札幌市公文書館所蔵写真
札幌市卓上案内1950年(昭和25)北海道都市案内刊行会発行札幌市中央図書館所蔵より赤丸の部分に芳賀スキー製作所が1992年まで所在していました。現在JR北海道バス 北5条線[58]の札幌駅方向へのバス停のあるあたり味の時計台北5条店の東側です。
札幌市卓上案内1950年(昭和25)北海道都市案内刊行会発行札幌市中央図書館所蔵より赤丸の部分に芳賀スキー製作所が1992年まで所在していました。現在JR北海道バス 北5条線[58]の札幌駅方向へのバス停のあるあたり味の時計台北5条店の東側です。

札幌市電北5条線

1927年(昭和2)に北5条西4丁目~北5条東20丁目間で開通し、その後1931年(昭和6)に北5条西19丁目~大通西20丁目間が開通し円山線と直結。1971年(昭和46)まで運行。

札幌市鳥瞰図昭和11年(部分)吉田初三郎作 札幌市公文書館所蔵

 

芳賀孝郎 さん

1934(昭和9)年札幌生まれ。生まれ育った場所は、かつて1992年まで北5条西19丁目にて旧5号線に面して営業していた「芳賀スキー製作所」。物心つく前からスキーに熱中し、桑園国民学校、向陵中学、札幌西高校へ。学習院大学に進学して山岳部へ。以後、山とスキーの人生を歩む(元日本山岳会副会長)。1958年京都大学学士山岳会チョゴリザ登山隊に参加。1970年から1991年まで、父の跡をついでハガスキー社長。2007年まで(株)エイジス(本社千葉市)取締役副社長。2011年夏、千葉県幕張ベイタウンから20年ぶりに帰札。現在宮の森に暮らす。

お正月休みに雪道散歩も楽しいミニ大通

昨年末来の雪が、お正月らしさを引き立てるミニ大通から、

今年もよろしくお願い申し上げます。

皆様、お正月休みいかがお過ごしでしょうか?

ミニ大通では西11丁目のCafe倫敦館さんが9:00から23:30まで、西14丁目の洋菓子店ウノズさんが11:00から17:00までと三が日も休まず営業しています。お正月休みのお散歩のひとときに、是非、どうぞ!(ウノズさんは4日・5日10:00~17:00、6日定休日で7日から10:00から19:30の通常営業)

 

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本年もよろしくお願いいたします。