桑園のはじまり
今は、高層マンションが建ち並び、札幌市中央区の中心ビジネス街西側直近の住宅街となったミニ大通り周辺は、一般的には桑園地区と呼ばれています。この桑園という呼び名は、行政区画上は地図のどこにも表記はされておりませんが、明治の初期から大正にかけては、その名のとおり一面の桑畑でした。このあたりが桑畑だったのは明治から大正にかけてのこと、明治8年(1875年)、当時の開拓使は、開拓の任にあたる屯田兵の人々に養蚕をすすめるため、現在の北1条から北10条、西11丁目から西20丁目の全域を桑畑にすることと決めました。
桑畑を作るためにあたっては、養蚕に長い歴史と経験をそなえた庄内藩(今の山形県)から、それまで侍だった人たちが招かれ、約4ヶ月間に渡って開墾の鍬が振り下ろされます。その彼らが寝泊まりした場所として選ばれたのが、豊かな湧き水を有した現在の知事公館の場所でした。その後、この場所は開拓史の桑園事務所となり、養蚕事業の拠点となります。やがて、桑園事務所の土地は明治25年(1892年)に、開拓使の官吏であり札幌農学第2代校長もつとめた、森源三氏が購入し邸宅を設け自らも養蚕に従事します。その後、大正4年(1915年)には、この敷地と邸宅を三井合名会社が購入し、三井倶楽部(もしくは三井別邸)として来客の応接等に使用、昭和11年(1936年)12月には、新館も建設されました。
戦後、三井倶楽部と敷地は、アメリカ軍に接収されましたが、昭和27年(1952年)に札幌市の所有となった後、昭和28年(1953年)に道の所有となります。森源三氏以来の建物はこの年に取り壊されたので現在の知事公館とは昭和11年に建設された新館のことになります。
さて、下記に提示したのは、今から97年前の大正7年(1918年)に当時の札幌区役所が編纂し富貴堂が出版した札幌大地図(札幌中央図書館デジタルライブラリーより)という古地図です。
この地図の現在の知事公館と近代美術館にあたる部分を拡大して見るとしましょう。
現在の知事公館の位置には「三井倶楽部」の文字が、そして現在の近代美術館の位置である西17丁目から20丁目にかけての場所には、「養蚕伝習所」の文字が記されています。まさに現在の近代美術館の場所が当時は養蚕技術を広める拠点だったことがうかがい知れます。
さらに、この地図を現在の周辺地図と比べて見ると…。
そうです。なんと当時と現在で道路の区画がほとんど変わっておらず、現在のミニ大通りにあたる道路も現在の美術館通りにあたる西18丁目から、西10丁目の現在の植物園である博物館まで東西をしっかりと延びていることがわかります。今は、往時を偲ぶ桑畑も建物も残されてはいない近代美術館とミニ大通り周辺ではありますが、空から眺めた区画そのものに、100年前からの歴史が残されている!まさに歴史のよすがを感じずにはいられません。