続々と登場してくる新酒、搾りたての日本酒と当店の冬の
今回は二十四軒にある「地酒屋 醸」さんのお酒を特集致します。
18:00から21:00まで3時間ゆっくりとお楽しみ
限定14名様 お一人様6,000円会費となっておりま
お申し込みは電話で011-207-7333
もしくは下記フェイスブックページへ
https://www.facebook.com/events/1067318933320299/
是非、よろしくお願いいたします。
続々と登場してくる新酒、搾りたての日本酒と当店の冬の
今回は二十四軒にある「地酒屋 醸」さんのお酒を特集致します。
18:00から21:00まで3時間ゆっくりとお楽しみ
限定14名様 お一人様6,000円会費となっておりま
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続々と登場してくる新酒、搾りたての日本酒と当店の冬の
今回は二十四軒にある「地酒屋 醸」さんのお酒を特集致します。
18:00から21:00まで3時間ゆっくりとお楽しみ
限定14名様 お一人様6,000円会費となっておりま
お申し込みは電話で011-207-7333
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かつて北5条西19丁目にあった『ハガスキー』を経営されておられた芳賀孝郎さんのお話し。連続掲載の第3回目です。
かつて、ミニ大通レターズエリア近隣に冬季五輪アスリートたちがおられたというお話しです。
家の向かいに北4条郵便局があって、高橋昴さんという局長がいました。この方は、1928年(昭和3)に日本がはじめて参加した冬季五輪、サンモリッツオリンピックに主将として出場した名選手でした。オリンピックでは、第1回〜3回まではスキーはノルディック競技しかありません。サンモリッツは第2回大会です。
近所ということもあり、高橋さんは父と深い交友がありました。高橋さんは用具にたいへん凝る人で、体格や筋力の劣る日本人が世界の一流選手と戦うためには、まずどれだけ軽くて高性能なスキーとポールを開発するか、という発想を持っていました。第一線を引いて郵便局勤めになってからもそれは変わらず、よく父と議論を交わしていたものです。
1936年のガルミッシュパルテンキルヒェン・オリンピック(ドイツ)では、高橋さんはコーチ、役員として活躍しました。この年の夏にはベルリンオリンピックが開かれ、両オリンピックはヒトラーの声がかりで行われたナチスのプロパガンダオリンピックとして知られています。この次に開かれる予定だったのが、夏の東京五輪、冬の札幌五輪だったわけです。
その頃のことで忘れられない思い出があります。高橋さんはドイツから、当時の日本にはなかった電気掃除機を買って帰りました。それをうらやましがった父はときどき私に、郵便局に行って高橋さんから掃除機を借りてこい、と命令するのです。そんなことが何度かありました。お願いに行くたびに高橋さんは、「仕方がないな。ふつうの人には絶対貸さないんだからね」と、念を押すように言って貸してくれました。
また、1932年のレイクプラシッド冬季五輪のノルディック競技に出場した栗谷川平五郎さん(札幌鉄道管理局)も、家が近所でもあり、父と親しい交友がありました。栗谷川さんもまた、独自のスキー理論を持っていました。
ヨーロッパのレースに出場するうちに栗谷川さんは、クロスカントリースキーでは脚と同じように上半身の使い方がいかに重要かを理解していきました。脚と腕の力がひとつになってはじめてヨーロッパの選手と戦えるパワーが出るんだ、と。今では常識ともいえるこの考え方は、当時の日本では全く新しいものでした。
グラフィック・デザインでさまざまな仕事をし、北2条西20丁目にあった北海道造形デザイン専門学校を開校した栗谷川健一さんは、平五郎さんの甥にあたります。
父は、自身が1923年(大正12)の第1回全日本選手権の距離競技(10キロ)で入賞するほどの選手でした。その上で北大スキー部との交流から始まり後年は高橋さんや栗谷川さんといった一流選手・一流指導者と付き合いながら、世界と戦えるスキーを開発するために技術の研鑽を重ねていました。私たち子どもにはやさしい父でしたが、仕事に対してはつねに高い理想を厳しく追い求めた技術者であったと思います。
(つづく)聞き書き/谷口雅春
芳賀孝郎 さん
1934(昭和9)年札幌生まれ。生まれ育った場所は、かつて1992年まで北5条西19丁目にて旧5号線に面して営業していた「芳賀スキー製作所」。物心つく前からスキーに熱中し、桑園国民学校、向陵中学、札幌西高校へ。学習院大学に進学して山岳部へ。以後、山とスキーの人生を歩む(元日本山岳会副会長)。1958年京都大学学士山岳会チョゴリザ登山隊に参加。1970年から1991年まで、父の跡をついでハガスキー社長。2007年まで(株)エイジス(本社千葉市)取締役副社長。2011年夏、千葉県幕張ベイタウンから20年ぶりに帰札。現在宮の森に暮らす。
北海道立三岸好太郎美術館にて
3月27日(日)まで開催
三岸好太郎が17歳の時に描いた〈自画像〉をはじめ、三岸の初期の作品が中心に紹介されています。自画像から伝わるのは画家をめざす青年の決意と力強い気迫。その後まもなく彼は上京し、自らの芸術を求めて、たゆまぬ挑戦が始まりました。
同時開催「もう一つのライジング」
三岸が創立時(1925)に特別会員として関わった「北海道美術協会(道展)」が、若い世代を対象に2008年から行っている企画展〈道展U21〉から、これまでの大賞・準大賞受賞作7点の作品も展示されています。
「ミギシの散歩道」
2月11日(木)・18日(木)
*各日10:30~より学芸員による
ギャラリー・ツアー(約30分)
<30回記念のスイーツ>
1930年創業の老舗〈モンジェリ〉さん特製マカロンとクッキーの詰め合わせ
2月13日(土) 14:00~ 展示室
出演:〈アンサンブルPALLET〉
菊地由貴(マリンバ) 樋口千夏(ピアノ伊藤香織(ヴァイオリン) 森愛雅(フルート) 高畑友香(クラリネット) →チラシはこちら(PDF)
2月20日(土) 14:00~ 会議室
講師:山 田 航 氏(歌人)
「好太郎ライジング-若き日の挑戦」
(所蔵品展第4期)
1月30日(土)~3月27日(土)
詳しくはこちら→「好太郎ライジング」チラシ(PDF)
NEW!第199回美術館ミニ・リサイタル
1月30日(土) 14:00~ 展示室
出演: 安達彩子(ソプラノ)
菅原弥生(ソプラノ) 日小田直美(ピアノ)
*展示室を会場とするため、開演中および会場設営・撤収等の時間帯に当該展示室の作品を一部ご観覧いただけない場合があります。(会場設営は13:00頃~予定/座席には限りがあります)
*NEW!第30回オリジナル・スイーツデー
「ミギシの散歩道」
2月11日(木)・18日(木)
*各日10:30~より学芸員による
ギャラリー・ツアー(約30分)
<30回記念のスイーツ>
1930年創業の老舗〈モンジェリ〉さん特製マカロンとクッキーの詰め合わせ
*NEW!第200回美術館ミニ・リサイタル
2月13日(土) 14:00~ 展示室
出演:〈アンサンブルPALLET〉
菊地由貴(マリンバ) 樋口千夏(ピアノ伊藤香織(ヴァイオリン) 森愛雅(フルート) 高畑友香(クラリネット) →チラシはこちら(PDF)
2月20日(土) 14:00~ 会議室
講師:山 田 航 氏(歌人)
所蔵作品の画像をご覧いただけます!
当館所蔵の三岸好太郎作品(油彩・水彩素描・版画)の画像の閲覧が可能になりました。
ページ上の〈コレクション〉からどうぞ。
文化庁の「文化遺産データベース」のサイトで検索できます。
*当館ページ内の〈ギャラリー〉では、主要作品の画像と解説をご覧いただけます。
札幌の子どもたちに大人気の〈おばけのマ~ル〉。
三岸美術館にも時々やってきます。
当館を舞台に活躍する絵本
『おばけのマ~ルとちいさなびじゅつかん』もおすすめ。
展示解説 解説員といっしょに展示を観覧しませんか?
毎日、午後1時~3時、1名から随時受付。*祝日と、午後のイベントのある日は行いません。
作るの大好き2階展示室コーナー
*三岸好太郎の作品にちなんだミニ工作が楽しめます。
当館をご観覧の方には、各展覧会(所蔵品展4回+特別展)ごとにスタンプを押印します。
スタンプ3個以上で、個数に応じた記念品(当館オリジナルグッズや美術展図録など)を進呈。
*平成27年度のスタンプカードの配布は終了しました。
かつて北5条西19丁目にあった『ハガスキー』を経営されておられた芳賀孝郎さんのお話しを連続掲載の第2回目です。
出征していた従業員が帰ってきて工場が復活したのは、1947年(昭和22)。全日本スキー選手権もインカレも1944年で中止になっていて、大きな大会が復活していったのは1948年ころから。父は、戦前なら可能だったヒッコリー材の輸入もままならず、さらには農地改革で不在地主の土地が小作人に開放されたことに伴って、洞爺湖の別荘と土地にまつわる権利の調整で頭を悩ませていました。
といっても子どもには詳しいことはわかりません。戦後すぐ、私は中学生になりました。1947年(昭和22)に開校した新制の中学、向陵中学校の一期生です。
そのころで思い出されるのは、進駐軍のGI(米兵)たちです。当時は市街地でもろくに除雪されていませんから、裏通りなどで彼らのジープがスタックしている場面に出くわすこともありました。そんなときはソレッとばかりに子どもたちで押してあげます。すると「サンキュー」と、チョコレートやガムがもらえます。
国民学校のころから私に悪いことをいろいろ教えてくれた悪友がいまして、彼から、もっと簡単にチョコレートを手に入れる方法を教わりました。彼は、GIを見かけたら元気よく「Hey!」と呼びかけろ、と言います。そして米兵が振り返ったらすかさず「Give me chocolate!」。これでチョコレートが確実にもらえるのです。
私がこれをマスターしたころ、彼はこう言いました。「まだチョコレートなんかもらってるのか、子どもだなぁ」。「俺はいまもっぱらタバコをもらっているんだぜ」と威張ります。
「Hey, Give me cigarette!」 すると、キャメルやラッキーストライクがもらえるというのです。彼はそのタバコを大人たちに売ってちょっとした小遣い稼ぎをしていたようです。
なにしろ自動車なんてまだまだ数が少なくて、冬の物流では馬橇が活躍していました。冬のあいだ馬たちがそこらじゅうに落とした糞が、雪が解けると春の風で盛大に巻き上がります。いわゆる馬糞風です。
桑園には陸軍の被服敞がありました。いまの市立病院のあたりです。だから一帯には繊維関係の会社が集まっていました。日本橋(東京)の馬喰町の問屋の出先などです。北5条通にはいまでも少しその面影がありますね。北5条西11丁目にあった小林商店という会社は私の友人の家でしたが、そこも含む繊維卸有力企業の立派な社屋は、進駐軍に接収されていました。今の知事公館も当時は三井クラブ※1でしたが、やはり米軍に接収されていました。
(つづく)聞き書き/谷口雅春
芳賀孝郎 さん
1934(昭和9)年札幌生まれ。生まれ育った場所は、かつて1992年まで北5条西19丁目にて旧5号線に面して営業していた「芳賀スキー製作所」。物心つく前からスキーに熱中し、桑園国民学校、向陵中学、札幌西高校へ。学習院大学に進学して山岳部へ。以後、山とスキーの人生を歩む(元日本山岳会副会長)。1958年京都大学学士山岳会チョゴリザ登山隊に参加。1970年から1991年まで、父の跡をついでハガスキー社長。2007年まで(株)エイジス(本社千葉市)取締役副社長。2011年夏、千葉県幕張ベイタウンから20年ぶりに帰札。現在宮の森に暮らす。
※1三井クラブ
やっぱり降るときは降るもので、どかっときております。
これで大通さんの方の雪像造りも一安心というところでしょうか。
気温も低い日が続いております。お体お気をつけください。
さて、北海道立近代美術館B室の『冬のワンダー☆ミュージアム2016』アートで発見HOKKAIDO~ようこそ、北海道だらけの美術館へ Winter Wonder Museum 2016は、1月24日(日)までです。
北海道出身の画家たちが描いた北海道の様な風景たち、そのダイナミックな表現を一堂に会して繰り広げられたワンダーな世界!
まだご覧になっておられない方は、是非、お見逃しなく!
「あなたとアート」
家族(親子、兄弟)や友人同士など、2人以上のグループでご参加ください。作品について語りながら鑑賞します。
●日時:23日土曜日
午後2時~2時30分
●会場:展覧会会場(要観覧券)
●案内:美術館学芸員