ミニ大通も雪がなくなってお散歩日和!
春が来るって嬉しいものですね!
北海道立近代美術館では、横山大観展も始まりました。
とてもダイナミックな日本画は、実に爽快です!
是非、お楽しみください!

ミニ大通13丁目のCafeロウライフさんと14丁目の和食おばんざいのお店風香さんのコラボレーションイベントの開催です。
Cafeロウライフと14丁目の和食おばんざいのお店風香さんのコラボレーションイベントの開催です。
お申し込みは、Cafeロウライフ電話011-206-7691へ!
2016.4.2(土)−5.15(日)
北海道立近大美術館では、明治、大正、昭和にわたって活躍し、日本美術史上に大きな足跡を残した近代日本画壇の巨匠・横山大観(1868~1958)の特別展がはじまりました。
どの絵も、ものすごく堂々としていて、実に雅で、深淵です。
そして、描くテーマに対する着眼点と表現の発想と構成が、大胆で、見ていて爽快な気分になります。
今回は、島根県出身の実業家で横山大観作品の収集家であった安達全康氏(1899~1990)が創立した足立美術館の所蔵品から名作50展が一挙公開されております。
近代日本画壇の巨匠・横山大観の特別展は、北海道立近大美術館B室で5月15日日曜日まで開催です。
北海道立三岸好太郎美術館1階のCafeきねずみさんで、
3月1日から開催されてこられた期間中の、
ドリンク一杯につき10円募金の「東日本大震災復興チャリティー3ウィーク」
最終日の3/20(日)は詩とパンのお店モンクールさんの特別チャリティパンが登場します。
モンクールさん焼き上げテーマは【春の訪れを告げる小鳥たちのパン】名前は、まだありません。
Cafeきねずみさんでは、3/20,21のご来店に限り、このチャリティパンの名前を大募集!
その中で、「これだ」と店長が思った案を
コメントされた方にコーヒーを一杯
ごちそうしちゃうそうです!

かつて北5条西19丁目にあった『ハガスキー』を経営されておられた芳賀孝郎さんのお話し。
連続掲載の第9回目、いよいよ最終回となります。札幌の人たちへのスキーに対する芳賀さんの思いを語っていただきました。
ところで、今や、ニセコといえば、たくさんの海外からのスキー客にに溢れ、目を見張るばかりです。まるで外国にいるようでリフトに乗ってもオーストラリアやカナダからの若者と隣り合わせたりすることが当たりまえ、本当に驚きです。まさにかつて私が真狩でスキー工場を作る時に思い描いた「世界のスキーリゾート・ニセコ」がそこにあるわけで、隔世の感が否めません。
けれども、少し残念なことは、そこに日本人の姿が見えないこと。どうやらゲストのみならずスタッフも、そして、経営資本も海外からの人とマネーで少なからずが展開されているようです。日本の経済状況は中々楽観的にはならない中、せっかくニセコの雪と山が海外客のリゾートして活況を呈しているのに、その恩恵が日本人、特に北海道民に及ぶことが少ないことに寂しさも感じます。
一方、テレビをつけるとジャンプの高梨沙羅ちゃんを筆頭にウィンタースポーツでの、日本の若者の活躍は高まって来ています。けれども、またその一方で、スキー人口そのものは、年々減少傾向に。この先、沙羅ちゃんたちのがんばりに応えて行けるほどのウィンタースポーツに対する持続力が、北海道、特に大都市札幌の人々にどれほどあるのかも今ひとつ疑問です。
けれども、けして悲観的になることはありません。今、私が楽しんでいる山スキーも、スキーそのものが短く軽量化もされたことで扱いやすくなり、シールやビンディングも進歩し、以前よりもはるかに楽しみが増しています。これから始める人は山に分け入り滑り降りるバックカントリースキースタイルからでは無く、スキーで平地を歩くノルディックスタイルから始めれば、きっと楽しみに気づき、やがて、山へ登る魅力にも誘われて行くことでしょう。父や叔父たち芳賀兄弟が、そうであったようにノルディックスタイルこそスキーの基本なのです。

スキーと山に精通する人が増え人財となれば、道外・海外からの冬の観光客をもてなすガイドやヒュッテ・山頂ホテルといった雪や山を利用したビジネスの担い手にもなり、北海道経済に寄与貢献する可能性も多いにあります。それは夏であっても同じです。
他に比類無き、雪と山と食に恵まれた北海道は、観光立国スイスやオーストリアが、何を糧にしているのかを学ぶことも重要な事なのかも知れません。
そいった事を、これからは札幌の人たちとも、夢を持って語り合っていけたらとも思います。
宮の森の自宅には、2011(平成23)年の帰札にあたって、かつてハガスキーが製作したスキーの変遷をご覧いただく「小さな芳賀スキー展示場」を開設いたしました。折しもこの年は、オーストリア・ハンガリー帝国レルヒ少佐が、日本にスキーを伝えて100年目の年でした。かつて札幌の街にも海外に輸出する程のスキー産業があったことを知っていただく手立てになればと思います。

このサイトページにおつきあいいただき、関心をお持ちいただいた方にもお目にかかる事ができれば、また楽しいことと思いつつ本稿の最後とさせていただきます。
ありがとうございました。
芳賀孝郎 さん
1934(昭和9)年札幌生まれ。生まれ育った場所は、かつて1992年まで北5条西19丁目にて旧5号線に面して営業していた「芳賀スキー製作所」。物心つく前からスキーに熱中し、桑園国民学校、向陵中学、札幌西高校へ。学習院大学に進学して山岳部へ。以後、山とスキーの人生を歩む(元日本山岳会副会長)。1958年京都大学学士山岳会チョゴリザ登山隊に参加。1970年から1991年まで、父の跡をついでハガスキー社長。2007年まで(株)エイジス(本社千葉市)取締役副社長。2011年夏、千葉県幕張ベイタウンから20年ぶりに帰札。現在宮の森に暮らす。
かつて北5条西19丁目にあった『ハガスキー』を経営されておられた芳賀孝郎さんのお話し。
連続掲載の第8回目は、千葉・東京でのお仕事を終えられ札幌に戻られて、大好きな雪山スキーを再開された芳賀さんのお話です。
今回は、最終回のVol.9と同時に公開させていただきます。
2011(平成23)年秋、77才で全ての職を終え、私と妻は20年間、留守にしていた札幌市中央区宮の森の自宅に戻りました。
千葉県幕張ベイタウンの便利なところから、札幌市の中央区とはいえ山の中腹にある家に戻ろうとする私に、友人たちは「何故、いまさらそんな不便な所へ?」と。これは、東京の人からも札幌の人からも言われました。
確かに、ここは地下鉄の最寄り駅からも遠く、街に出るには不便な所、でも周りに豊かな自然に恵まれ、庭のバードテーブルにはきれいな野鳥や可愛らしいエゾリスたちもやって来る場所。この自然の眺めの中での寛ぎは、かけがえのないものです。
そして、山スキーの再開。実は、これが私の札幌に戻る大きな目的のひとつでした。季節は冬となり、喜び勇んで古い山仲間とともに雪山へ!しかし、実際に行ってみると、あいにく私の長く愛用したスキー道具は古く劣化していたため、全て新型への切り換えが必要であることが判明。さらにこの新型に向けてのスキー技術の修得も余儀なくされることに。私のスキー技術は半世紀以上古いクラシックスキーテクニックで、新型スキーは私のスキー技術を理解してはくれないのでした。札幌に戻って深雪スキーを楽しむにはもはや遅すぎたか!とも思われましたが、私の年齢にふさわしいハニカムコア軽量のフランス製スキーを手に入れたことと、仲間の指導のおかげで操作にも慣れ、今はニセコや大雪での山スキーを楽しんでおります。もちろん年齢をわきまえ仲間に迷惑をかけないことに努めて、これからも深雪を楽しんで行きたいと思います。

(最終回 Vol.9につづく)(最終回 Vol.9につづく)
芳賀孝郎 さん
1934(昭和9)年札幌生まれ。生まれ育った場所は、かつて1992年まで北5条西19丁目にて旧5号線に面して営業していた「芳賀スキー製作所」。物心つく前からスキーに熱中し、桑園国民学校、向陵中学、札幌西高校へ。学習院大学に進学して山岳部へ。以後、山とスキーの人生を歩む(元日本山岳会副会長)。1958年京都大学学士山岳会チョゴリザ登山隊に参加。1970年から1991年まで、父の跡をついでハガスキー社長。2007年まで(株)エイジス(本社千葉市)取締役副社長。2011年夏、千葉県幕張ベイタウンから20年ぶりに帰札。現在宮の森に暮らす。