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3月12日(土)
三岸好太郎美術館ミニリサイタル
〜古(いにしえ)の響き〜
中世ヨーロッパの音楽と古謡

 

音楽家をめざす方や若手演奏家による北海道立三岸好太郎美術館のミニ・リサイタル。 第201回目の今回は古楽アンサンブル・ウィリディスさんによる 歌とハープ、プサルテリー、シトール、笛の演奏です。

 

プサルテリー、シトールとはどんな楽器でしょうか?

所蔵品展「好太郎ライジング-若き日の挑戦」とともにお楽しみください。
 

(第201回) 3月12日(土) 午後2時~ 約1時間

 

・古楽アンサンブル・ウィリディス・

 

歌・ハープ: 宇治美穂子 Uji Mihoko

歌・プサルテリー: 大友弥生 Otomo Yayoi

歌・笛・シトール: 中村会子 Nakamura Aiko

 

<プログラム>

 

~12 世紀~

ドイツ 聖女ヒルデガルト・フォン・ビンゲン

フランス 吟遊詩人 宮廷騎士恋愛歌

~13 世紀~

イタリア 聖フランシスコのラウダ

~14 世紀~

スペイン モンセラート修道院に伝わる巡礼歌

~16 世紀~

イギリス スカボローフェア

 

●会 場 :展示室内

●入場料 :所蔵品展観覧料でお聴きになれます。

※65 歳以上、高校生以下は無料です。

160312三岸美術館minirecita

Vol.5 私の山とスキーと人と
芳賀孝郎さんに聞く

かつて北5条西19丁目にあった『ハガスキー』を経営されておられた芳賀孝郎さんのお話し。連続掲載の第5回目です。

今回は、芳賀スキー誕生のお話しです。

 

芳賀スキーの成長とその後

 

芳賀スキーは1926(大正15)年には札幌に拠点を移しました。当初は札幌郡藻岩村字円山(現在の円山)に工場と事務所を構え、1933(昭和8)年には父が兄の恒太郎から独立して、桑園に店と工場を構えました。私が生まれ育った北5条西19丁目です。

先に述べたように、私は、1947(昭和22)年に開校した新制の中学、向陵中学校の一期生です。私の青春と仕事人生は、戦後の復興と高度成長、そしてドルショック、オイルショック、大型量販店などが起こした流通革命へという、日本経済の大きな流れとともにありました。

 

1949年、全日本スキー選手権大会が国民体育大会冬季大会を兼ねて札幌で開催されました。三笠宮殿下と高松宮殿下がご臨席されました。大会期間中、両殿下は北海道大学の大野精七先生のご案内で芳賀スキーの工場を訪問されました。父は、戦後第一号のヒッコリーの合板スキーを献上しました。輸入ヒッコリー材は、当時たいへん貴重になっていました。宮様は父に、「今まで以上にスキー界で活躍してほしい」とお言葉をくださいました。

01.1949年第27回全日本スキー大会時の高松宮・三笠宮両陛下ハガスキー工場ご見学

宮様にも励まされ仕事に精進した父ですが、やがて体調を崩してしまい、東京の病院にまで行きました。しかし父は、そんな体であるにもかかわらずスキー販売の拠点を東京に置こうと考えていました。その準備のための上京でもあったのです。そして神田小川町に店舗を購入。さらに茅ヶ崎(神奈川県)にあった旧海軍のボート工場を購入する準備までしました。

02東京神田にあったハガスキー営業所(左)と茅ヶ崎にあった工場(右)

父は北大病院で胃の半分の摘出手術を受け、やがて幸運にも全快することができました。私が東京の学習院大学を卒業するころに合わせて、父は茅ヶ崎の工場建設を進めました。1961(昭和36)年に工場は竣工。東京、中部、さらには関西への販売も強化していきます。工場ではバルカナイズファイバーという素材を使ったグラススキーを開発して、これは科学技術庁長官賞を受賞することができました。

さらにほどなくして、アメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、イタリア、スイスなどへの輸出も伸びていき、一社ではさばききれないほどの注文を抱えることになりました。輸出については、父は1964年のインスブルックオリンピック(オーストリア・チロル州)を、商談をかねて視察していたのです。

 

父は他社の同志たちと、さらなる生産規模の拡大と高度な技術開発部門を立ち上げるために、札幌スキー協同組合の共同事業として、羊蹄山麓の真狩村に新工場を建てました。いまの道の駅真狩フラワーセンターのあたりに敷地5千坪、建物800坪ほどの工場を設け、年間10万台の生産目標を掲げます。これによって、残念ながら茅ヶ崎工場は閉鎖して手放しました。

03.真狩工場での一体型スキー製造

父が考えたのはこういうことです。アルペンの本場オーストリアなどでは国をあげて、スキーを裾野の広い産業として、そして人々の心に灯る文化として育んでいる。彼の地ではまず風土に根ざしたスキー技術の開発や研究を担う国立のスキー学校があり、すぐれたスキーヤーや指導者たちを育てます。そしてそのまわりに、スキーをはじめとしたすぐれた用具のメーカーがあつまり、さらに一般のスキーヤーを対象にした観光産業などが成り立っていく。交通や飲食、ファッションなどの産業も、その土地ならではのスキーを軸にして活発な事業を展開していくでしょう。

父は、自らが育った羊蹄山麓の風土にしっかりと根ざした力強いスキー文化とスキー産業を、ヨーロッパのように大きな裾野から成長させていきたかったのです。

 

しかしスキーに一生を費やした父は、札幌オリンピック(1972年)を見ることなく1970年に72歳で逝きました。跡継ぎとして私は36歳で社長となります。

 

札幌オリンピックをはさんで日本の経済は、ドルショックによる円高とオイルショックによるインフレで大きな打撃をこうむります。円高による輸入材料の高騰とインフレによる賃金高騰で日本の輸出スキーは完全に競争力を失い、輸入スキーが急激に勢いを増していきました。もはや父の時代とはすべてがちがいます。

 

私は北海道工業試験場や北海道大学の協力・支援を受けて、アルミやチタン、ケブラー繊維などを駆使した高性能スキーを作り上げました。輸入スキーに優る弾性や剛性などをもったスキーでしたが、ヨーロッパの選手がオリンピックで勝ったスキーにあこがれる日本人のブランド志向をつかむことはできませんでした。

通年での売り上げを確保するためにOEM(他社ブランド製品の製造)でゴルフクラブも作りました。

 

また、札幌オリンピックののち、手軽な市民スポーツとして「歩くスキー」の普及がはじまり、私も仲間たちと啓蒙、PR活動に力を入れました。やがて大きな大会に北海道知事や札幌市長も参加するほどになり、歩くスキーはマーケットとしても一定の規模を持つようになります。

しかしこれもまた、市場が育っていくにつれて本格的な用具志向が高まり、老若男女が無理なくゆっくり冬の森や平原を楽しむことを目的とする歩くスキーは、ヨーロッパ製品が主導する、スピードを競うクロスカントリースキーへの流れに変わってしまいました。

 

02.1981年(昭和56)札幌国際スキーマラソン大会

 

 

組合員企業6社で立ち上げた真狩村の札幌スキー協同組合真狩工場は、5社が倒産してハガスキー1社の経営になってしまいました。従業員の配置転換や削減が不可欠となりましたが、他業種労組の支援も受けた労働組合との交渉は困難を極め、地方労働委員会の調停をあおぎました。

このころスポーツ用品の販売業界にも大きな変革が起きていました。大手全国チェーンの販売網が広がり、中小のスポーツ店をつぎつぎに倒産に追い込んでいたのです。売掛金の焦げ付きは膨大な額になりました。

05輸入スキーのバーゲンセール

1991年2月、ハガスキーは倒産を選びました。74年の歴史に幕を下ろしてしまったのですが、総括していえば輸入スキーとの競争に敗れ、労働組合交渉といった問題の発生で、早い決断を下すことができました。

私が生まれ育った場所である桑園にありつづけた社屋は、残念ながら1993(平成5)年に取り壊されました。

 

(つづく)聞き書き/谷口雅春

芳賀孝郎 さん

1934(昭和9)年札幌生まれ。生まれ育った場所は、かつて1992年まで北5条西19丁目にて旧5号線に面して営業していた「芳賀スキー製作所」。物心つく前からスキーに熱中し、桑園国民学校、向陵中学、札幌西高校へ。学習院大学に進学して山岳部へ。以後、山とスキーの人生を歩む(元日本山岳会副会長)。1958年京都大学学士山岳会チョゴリザ登山隊に参加。1970年から1991年まで、父の跡をついでハガスキー社長。2007年まで(株)エイジス(本社千葉市)取締役副社長。2011年夏、千葉県幕張ベイタウンから20年ぶりに帰札。現在宮の森に暮らす。

好太郎ライジング-若き日の挑戦

北海道立三岸好太郎美術館にて

3月27日(日)まで開催

三岸好太郎が17歳の時に描いた〈自画像〉をはじめ、三岸の初期の作品が中心に紹介されています。自画像から伝わるのは画家をめざす青年の決意と力強い気迫。その後まもなく彼は上京し、自らの芸術を求めて、たゆまぬ挑戦が始まりました。

同時開催「もう一つのライジング」

三岸が創立時(1925)に特別会員として関わった「北海道美術協会(道展)」が、若い世代を対象に2008年から行っている企画展〈道展U21〉から、これまでの大賞・準大賞受賞作7点の作品も展示されています。

 

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風香 日本酒の会 番外編
 小林酒造さんの新酒を楽しむ会

今年も来てくれます!
栗山町小林酒造さんから専務精志さんをお迎えしての
「風香 日本酒の会 小林酒造さんの新酒を楽しむ会」

3/16(水) 18:30~終わるまで(精志さんが話しつくすまで(笑))

会費 お一人様6,000円

精志さんチョイスのの小林酒造さんお酒とお酒にまつわるお話をいただいてそれに合わせて当店のお料理も楽しんでいただきます。
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当店をご利用いただいているお客様にはご理解いただけているかと思いますが非常に小さいお店です。収容人数も14名様までとさせていただいております。
その分、お近くで精志さんのお話をダイレクトに聞くことが出来ます。質問や普段では接することのできない”素”の精志さんにも出会えるかも?です。
2/22(月)より一般受け付けです。
毎度お願いしていることではありますがメール、メッセージ等での受け付けは致しておりません。営業中、仕込みの最中はネットチェックは一切できませんのでお電話にてのお申し込みをよろしくお願い致します。

2月は矢のごとく過ぎゆく!

2月って短いですよね、でも今年は閏年なので29日まであって、何となく得した気分です。

とはいえ、やっぱりあっという間に来週は3月です。

お天気の方は、春に向かって足踏み状態ですが、

確実に、春は近づいておりますね。

さて、そんな2月末の日曜日28日、ミニ大通の2条北の通りにある

中央区北5西11-8 Sacra bld. 4FのMEET.さんで、

つながる ひろがる マーケット ooo Vol.2というイベントがあります。

イベントページに情報を掲載しましたので、

是非、よろしくお願いいたします。

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2016.2.28 日曜日はMEET.へ
つながる ひろがる マーケット ooo Vol.2 

日時: 2016.2.28 SUN. 12:00-21:00
会場: MEET.
札幌市中央区北5西11-8 Sacra bld. 4F
入場料:
12:00-17:30 … 無料
18:00-21:00 … 1ドリンクオーダー

 

見て触れて楽しめる、食とアートと手仕事作品を主としたマーケットイベントが開催されます。

お買い物の合間にカフェや音楽、展示を楽しめる空間と、作家やお客さま同士の交流やものづくりの楽しさを体感できる機会をどうぞ。

手仕事作品、食、アートを楽しめるマーケットのほか、ワークショップや旅の写真のスライドトーク、マリンバのライブ演奏などもありますよ!

場所は札幌市中央区北5西11-8 Sacra bld. 4F

Sacraビル1階駐車場左奥のエレベーターで4階へ!

公式サイト
http://ooowaooo.tumblr.com

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冬の木に見ほれてしまう散歩道

いや〜先日の日曜日は、急な暖気で足元ザクザクというかジャクジャクっていうミニ大通でしたが、その後、雪が降って、また、歩きやすく良い感じです。ほんと今年の冬は変な気候だ!って毎年言っているような気がしますが、今のところ全般的に雪は少ないまま春になるような!って言ったらドカッときたりして。って、どっちだよ!

 

そんな中、ちょっと見上げると、この冬の木のたくましいこと。なんとも枝が雄々しくて、夏のように葉っぱが無くとも枝振りだけでも、これまたなんだか見ほれてしまう。この木のように伸びやかにかくありたいと思うのも冬の良さではと。

 

ミニ大通13丁目
ミニ大通13丁目

 

さて、今週2016年2月20日土曜日の北海道立三岸好太郎美術館では、土曜セミナー開催です。

テーマは「すすきの生まれ三岸の原風景

そうか、三岸好太郎はすすきの生まれだったのかぁ!なんとも興味をそそられます。

お話しは、札幌の若き気鋭歌人の山田 航さんです。

楽しみですね。詳しくはこちら

 

 

すすきの生まれ
三岸好太郎の原風景

北海道立三岸好太郎美術館 土曜セミナー

2016年2月20日(土)

午後2時〜約1時間

講師:山田  航(歌人)

 

三岸の生まれ育った時代から続く札幌の景観について、新聞 連載「山田航の札幌モノローグ紀行」や中島公園、すすきの の歴史を再発見するムック「ぼけっと」でもおなじみの気鋭 の歌人、山田航氏が解説します。是非、お楽しみに!

会場:展示室2階会議室

入場料:所蔵品展覧会料にて

2016.2.20土曜セミナー

2月18日(木)は三岸好太郎美術館オリジナル・スイーツ・デー

北海道立三岸好太郎美術館では、毎月、その時期に開催中の展示テーマにちなんだスイーツ販売を行うオリジナル・スイーツ・デーを開催しています。今月は「好太郎ライジング」展から1933年の水彩画作品<デザイン>をモチーフにした焼き菓子の組み合わせが老舗八鹿支店モンジェリ中島店の協力で実現しました。

オリジナル・スイーツ・デー

今月第2回目は2月18日(木)

午前9時30分から1階Cafeきねずみで1セット500円で各日限定25セット販売です。

 

当日はオリジナル・スイーツ・デー♪ギャラリーツアー開催です

 

10時30分からの学芸員による解説ギャラリーツアーに参加の方には、クッキーのプレゼントがあります。

参加料= 展覧会観覧料(一般510円、高大生250円)

申込は電話011-644-8901へ

 

2016年2月11日・18日北海道立三岸好太郎美術館オリジナルスイーツデー開催
2016年2月11日・18日北海道立三岸好太郎美術館オリジナルスイーツデー開催

札幌LRTの会さんから
札幌市電北五条線の走っていた頃の
写真をご提供いただきました。

『私の山とスキーと人と芳賀孝郎さんに聞く Vol.1』の記事で、市電北五条線が走っていた頃の記述があったので、その頃の写真はないものかと関係各方面の皆さんにお尋ねしたところ、札幌LRTの会の早川淳一さんから、1971年9月に撮影された北5条西13丁目にあった『予備校前電停』写真のご提供を頂きました。

『予備校前電停』とは、当時、北5条西13丁目には「桑園予備校」があった事に由来します。北7条西12丁目には「札幌予備校」もあって、かつては桑園は予備校生たちの街でもありました。その後、東京からの競合校進出に「桑園予備校」は廃校を余儀なくされ、「札幌予備校」も名古屋を本拠とする予備校の札幌校となって桑園の地を去りました。

それにしても、北5条を走る電車の雄姿。道の両側に居並ぶ商店の看板。今とは違った活気を感じずにはいられません。

この北5条線は1913(昭和2)年に北5条西20丁目~北5条西4丁目間で開通し、1971(昭和46)年まで運行していました。

 

市電旧北5条線予備校前電停 北5条西13丁目交差点付近 1971年9月講神清氏撮影 札幌市電が走った街今昔-札幌LRTの会・編 JTB発行より
市電旧北5条線予備校前電停
北5条西13丁目交差点付近
1971年9月講神清氏撮影
札幌市電が走った街今昔-札幌LRTの会・編 JTB発行より

 

現在の北5条西13丁目交差点付近Googleストリートビューリンク

 

札幌LRTの会とは

LRT(Light Rail Transit:近代的・高機能な路面電車/軌道交通システム)を活用するという観点から、平成8年(1996年)に設立され、活動されておられる市民団体です。詳しくは、下記リンクページをご覧ください。

札幌LRTの会ホームページはこちら